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2023’春のお知らせ

2023-02-13

日本茜

前略

立春も過ぎ水ぬるむ頃に東京では雪が降る事が多くあります。!これから春になるお知らせです。皆様、そろそろ動きだしたくなる頃ですね。

3年続けてきた日本茜の推奨者、大阪の杉本さんが計画しました。未体験の方は是非このチャンスに日本茜の魅力を染め体験と勉強をしてみてください。

3/17(金)日本茜染め・セミナーと講習in東京

場所は港区生涯学習センターbaroon101号室(港区新橋3-16-3)

午後の部14:00〜17:00 と夜の部18:00〜21:00 に空きがあるそうです。

参加費¥5000です。学生は¥3000(材料込み)

 

申し込みは私どもに!!! ☎03-6904-2560 Fax・又はMailにてお願いします。登録いたします。

 

今後のツアー計画

3/5(日)岡谷シルク博物館にKnit in SUWA 最終日に行きます。

3/30(木)〜4/2(日)豊橋文化サロン汽水域にてお話と展示会

4/13(木)〜4/18(火)京都・哲学の道ギャラリーolus オルスお話と展示会

佐久島貝紫体験ツアー 5月の2週目を予定します。希望者はご連絡下さい!

23’シルクロードの夢in静岡伊勢丹

2023-01-05

・・・ワイルドシルク・・長谷川千代作品展

ムガシルクアンサンブル

1月11日(水)〜17日(火)10:00〜18:30

静岡伊勢丹6階ザ・ギャラリー

お話イベント:会場内にて各日2:30〜

1/14(土) 『絹と節句』日本野蚕学会副会長 今泉雅勝

1/15(日) 『不老長寿の薬』   〃

2023 謹賀新年

2023-01-05

2023 謹賀新年

寒さはこれからが本番、エリシルクの柔らかな暖かさは幸せ感に満たされます。毛布、シーツ、枕など寝具・5本指ソックスなど小物類を作りました。

『絹と健康』をテーマに新しい世界を作りましょう。

本年もどうぞよろしくお願いします。

犬頭神社(愛知県豊川市)

延喜式・今昔物語に記され、日本の絹の歴史のあけぼのを物語る神社です。

今年最初のお話会は

1月28日(土)11時〜

タイトル『今昔物語にみる日本の古代の絹』

今年初の染めは『日本茜のピンク』

5階染色室にて13時30分からです

 

2022*年末お客様感謝祭&泥染めツアー報告会

2022-11-29

2022年12月月7日(水)〜10日(土)12:00〜18:00

TEORIYAビル4階にて

恒例の奄美の泥染めツアーより戻りました。

泥染めの新製品、訳ありも用意します。

掘り出し物ワイルドシルク布・ストール・etc.

SALESALESALESALESALEsalesaleSALE

お話イベント:会場内にて、連日13:30〜

『絹の話・織物以前』   今泉雅勝

ワークショップ『キンモクセイ染め』講師:村田みほ子

12月10日(土)13:30〜 5F染色室

講習費  ¥3,500  、定員7名

お問い合わせ、お申し込み

  TEL & FAX 03-6904-2560

H.P <https// www.akasaka-trevi.jp

2022秋 観菊のお話し会 2

2022-10-26

10/15 横浜シルクセンターにて好評でした『観菊のお話し会』の

続きを当ビルでもいたします。

観菊のお話し会②

     見て触って絹を科学する

 古来より美しく装う事に主眼が置かれて来た絹ですが、絹を作る生物は地球上には10万種類以上生息していると云われています。

それらは何時の時代にどの様な目的でどの様に利用されて来たか、それを知る事はそれらが持つ驚くべき機能性を知る事です。その機能性が次第に解明され、多くのアイテムに利用されるようになりました。

この講座では「絹の来た道、これからの道」を探ってみたいと思います。

11月11日(金)『絹と菊』・12日(土)13;30~15:00 by今泉雅勝

お客様感謝祭 11月11日(金)&12日(土)12:00~18:00

スカーフ・シルクインナー・寝具など展示販売します

 絹「綿(わた)」が気持ちの良いわけ

2022-08-31
絹綿枕から学ぶ(45㎝x65㎝)

 

1)癒しの空気大量に含まれます。

2)絹の細さ、柔らかさが母親の胸に抱かれている様な安堵感を覚ます。

3)絹を構成するアミノ酸が幸せホルモンの分泌を促します。

4)絹鳴り(絹糸が擦れ合う音—人の耳には聞こえない—肌で感ずる音)で癒されます。

クッション性を高める為、アットランダムに手打ち

                     柞蚕綿

家蚕綿                                エリ蚕綿

2022 初秋 in 藤沢

2022-08-27

絹と健康

人と環境に優しい物作り

残暑お見舞い申し上げます。

秋のお知らせ

 9月7日(水)〜13日(火)10:00〜19:00

 藤沢さいか屋 1階ィベントスペース

                エスカレータサイド1D

 

野蚕は屋外で生きるために、防紫外線性など優れた機能性を持っています。

この野生の繭の多孔質繊維の布は森林浴をしている様な穏やかな気持ちを醸し出してくれます。

 私はのこのコロナ禍に家でオシャレに着られる日常着や

寝具、ピロー・日傘などをデザインし、制作をしています。

 絹のお手入れなど何でも相談うけたまわります。

 

奄美泥染めツアー(11/7〜10)募集開始します

犬頭神社

2022-07-30

犬頭(けんとう)神社に参拝

 

 

 

 

 

予てより三河の豊川の千両( ちぎり)の犬頭神社に参拝したく思

っていましたが、三河湾の佐久島で貝紫染めの体験会の

帰路立ち寄る機会を得ました。

訪ねた時は鳥居を超えた所に一抱え以上もあろうかとい

うご神木の桑の木に実が沢山なっていました。

本殿の脇に大きな桑の木の切り株があり、脇から細い梶

の木が葉を広げていました。絹の紙から植物(梶—クワ

科のコウゾ族、ご神木の使われた)の紙への移行を示唆

している様でした。

犬頭神社縁起

 犬頭神社は律令国家が始動し始めた大化の改新の頃の

西暦640に創建されたと伝えられています。

創建当時の社名は判りませんが、保食神(うけもちのかみ)(農業など食物

を司る、注1)と糸繰姫神を祀って来た様で、古くから

農業が振興した地域と推測されます。

平安時代に成立した延喜式(927年)や今昔物語りには

「犬頭」という社名についての記述があります。

今昔物語によれば、三河の国の郡司(国司のもとの地

方官)の本妻の蚕がみな死んでしまって家は貧しくなり、

郡司は繭をよく育てている第二妻の所に入り浸り、本妻

のもとに帰ろうとしませんでした。本妻は桑の葉に一頭

だけ残った蚕を育てようとしましたが、飼っていた犬が

蚕を食べてしまい、その犬をどうしたものかと思案して

いると、くしゃみをした犬の鼻の穴から2本の糸が450

両(3000㎏)も出てきて、糸が出尽きると犬も倒れて死

んでしまいました。本妻は犬を桑の木の根元に埋葬した

ところ、その桑の木に沢山の蚕がついて素晴らしい白い

繭が採れました。しかし本妻はそれを練ってしなやかな

細い糸にする方法が分からなく、思いあぐねている所に、

第二妻のもとから帰ってきた郡司は、第二妻の家ではグ

レイがかった糸しか採れなかったのに、白い繭を見て驚

き、本妻のもとに帰り、艶やかな白い生糸を仕上げて、

家は豊かになりました。郡司はこの話を国司に伝えたと

ころ朝廷に報告され、「犬頭」という糸の名前で「調」

として朝廷(蔵人所)に収められ、天皇の衣装も織られ

る様になったという物語です。

「ちぎり」と呼ばれるこの地域はこの繭のおかげで豊か

になりましたので「千両」と記され今日に至っています。

その後、この糸は「犬頭糸」「犬頭白糸」と言われるブ

ランド糸となり、神社は「犬頭神社」と称されるように

なりました。

令義解(律令の解説書:833年)によれば三河の新城

で採れる犬頭糸が「赤(あか)の糸」(注2)と称して伊勢神宮

に奉納され、今日でも愛知県の新城から伊良湖岬に至る

各神社で「御衣(おんぞ)祭」をして奉納が続けられています(注

3)。

しかし神服部神社御由緒によれば御衣を織る「赤の糸」

とは「三河大野ヨリ調進スル赤引キノ糸〜〜青ク光ル

〜〜」とありますので、「赤の糸」は白い糸が採れる家

蚕の蚕種が中国(朝鮮)から伝わる以前のクヌギやブナ

等を食性にする天蚕のうす緑の艶やかな糸ではなかった

でしょうか。

延喜式

 延喜式は905〜927にわたって書かれた養老律令施行

細則(50巻)で、その中の9、10巻の神明帳に全国の

神社が国、郡ごとに式内社(官幣、国幣に預かる神社)

として3132座、2861社記されたていますが、犬頭神

社の記載は無く、別巻に記されているのではないでし

ょうか。

犬頭神社の鳥居の前に立つ大きな石柱に「郷社」と刻ま

れていましたので式内社でない事は確かです。それが近

年モルタルで埋められて石柱の横に「昇格」と彫られて

いました。

犬頭神社の故事は日本の絹産業のあけぼのを物語る

 今昔物語の記述は養蚕の事をよく知らない人が書いた

と思われる記述ですが、それでも当時の養蚕技術の進捗

期の実情がにじみ出ています。

この当時は既に家の中で養蚕をしていたと思われますが、

桑の木の葉にいた一頭の蚕が犬にたべられた云々は野外

のクワコを指していると思われます。野外では幼虫時は

鳥、吐糸直前には猿などが好んで食べ、時として病気も

発生します。また人の生活も昆虫食が盛んで、子供達等

が繭を噛んで蛹の汁を吸い、口の中に残った糸を口から

出して紬糸を作る足しにしていたと思われ(注4)、神

社縁起(保食神—口から食べ物を吐き出す。糸繰姫神—

紬糸)から推察すると繭を食べたのは犬ではなく、獣害

か病害でわずかに残った繭を人が食べてしまったと考え

られます。

この絹糸の作り方は、日本書紀に登場する「海彦山彦」

の物語(大和族と隼人族の戦い)の山彦(神武天皇の祖

父)がワタツミ(海神、綿津見)の国(当時揚子江の河

口周辺)に失った釣り針を探し求めに赴いたとき(注5)、

そこに居住していた苗(みゃお)族(鉄器の秦の軍隊に青銅器の苗

が敗れ、現在はタイ北部方面に居住)から伝えられた絹

の紬の文化と思われます(東伝の絹、注6)。

犬の鼻から2本の糸がとめどもなく出てきたという記述

は中国(朝鮮半島)から朝廷経由か直接能登半島経由で

白く大きな量産型の蚕種と繭から生糸を揚げる技術が伝

えられた事を物語っているのではないでしょうか。

そして郡司は渡来技術者集団(育桑、養蚕、製糸、精錬、

染色、織布などの職人)から製糸や精錬技術を習得して、

白いしなやかな糸を作ったのでしょう。この糸が都に運

ばれ錦や綾、羅が織られる様になり、この集団が周辺各

地に広がり、天蚕糸を伊勢神宮に奉納していた先住の人

達の利権を奪っていったものと推測されます。

奥三河から南信地方にかけて、今日でも昆虫食が盛んで、

目鼻立の整った唐沢性の人が多いのはその様な歴史に由

来しているのでしょうか。

 

注1)保食神(うけもちのかみ)—保食神は天照大神の高天原から遣わされた

月夜見尊(つくよみのみこと)を接待するために色々な食べ物を口から吐き

出して接待したところが、月夜見尊は汚いと言って保

食神を斬殺。その後天照大神は太陽、保食神は月とな

り、暦による農業の始まりを示唆。

注2)赤(あか)の糸—古代、三河大野の赤日子神社のある「赤孫」

(あかまご)で産する青く光る糸(天蚕紬糸?)。

現在は家蚕の白い糸でも伊勢神宮に奉納する時は「赤

の糸」と称している。

注3)絹の話(41) 絹と伊勢神宮:今泉雅勝著

律令時代の「御衣」は宮中から遠江浜名湖岡本に位田

を賜り、神御衣妖化守護(従五位の下)に任ぜられた

神服織(服部)氏(帰化人?)が当初は古から地元で

採られていた赤の糸(天蚕紬糸)で織っていたが、彼

等がもたらした犬頭白糸へ移行させたのではないだろ

うか。

注4)2010年頃、豊橋の百貨店で繭を見た年配女性が、子供

の頃、生繭をお八つに親からもらい、繭を噛んで口に

残った糸を口から引き出し、親に渡したと言っていま

した。同類の話は埼玉の川越、京都でも経験者から聞

いています。

注5)日本語大漂流:茂在虎男著

注6)絹の東伝:布目順郎著

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貝紫を染める

2022-07-30

1997年、私共(インド染織研究会)は三河湾の一色漁

港の日曜日の競り台を借りて、地元で獲れるアカニシ貝

で「貝紫」を染める事を始めました。

貝紫の色は澄んだ赤みのある色で、精神ストレスに効果

があると言われ、古代西洋では「力が宿る」色と信じら

れていたようです。

佐久島の島興し

三河湾の佐久島が島興し(アカニシ貝等の漁獲物を獲

って付加価値をつけて売る)に貝紫染めをしようという

事になり、名古屋工業大学の先生と私(筆者)が島の人

達に染色の技法を伝えに行きました。当初はマスコミに

も取り上げられ、体験会場なども整備され、徐々に観光

スポットになって来ましが、観光客が増えて来ると来島

者から貝の匂いが臭いとクレームがつき、閉鎖のやむな

きに至りました。

日本で古代の貝紫染めをだれでも自由に安価に体験でき

る所が無くなってしまった事は残念です。

しかし私共は会場を変えてコロナ禍の2年を除いて、5

月の紫外線が強くなって来た時期に休まず実施して来ま

した。研修者の中には国際貝紫研究会で活躍する人も出

ています。

貝紫染めの今昔

貝紫は紀元前16世紀頃フェニキアで染められ始めた

フェニキア紫で、貝から獲れるその染料は極めて少量、

高価でアレキサンダー大王はじめローマの皇帝や貴族、

クレオパトラなどの権力者が独占的に使って来ました。

それゆえ帝王紫(ロイヤルパープル)、クレオパトラ紫

などとよばれて来て、その製法は極秘にされました。

しかし東ローマ帝国滅亡(15世紀)の頃になると世界

の桧舞台から消えて行きますが、染色法の開発も進み、

キリスト教と共に続けられて来ましたが、いつの間にか

パープルではなくスカーレットの赤になりました。

日本では弥生時代の吉野ケ里遺跡の発掘の中から絹麻織

物の絹の部分の色が貝紫染めと認定されて、貝紫研究ブ

ームが起こって来ました。

現在では南米メキシコのオアハカの海岸でインデオの男

性がプロポーズする結納品として荒海の危険な海岸の岩

場に付着している1枚貝(ヒメサラレイシ)を綛(かせ)糸に押

し付け紫に染め、彼女のもとに持参する風習が続けられ

ています。その調査実習が行われ、広く雑誌等で紹介さ

れ、国内外の研究と実務者の活発な活動が始まりました。

貝紫染めとは

温暖な海に生息するアクキガイ科の貝(肉食)のパー

プル腺液(二枚貝などを捕食する時、捕食する貝を麻痺

させる)を染材に塗りしませて、直射日光に当ててパー

プル腺液(臭素を含むジブロモインジゴ)がクリーム色

から紫色に変わる染色技法です。

この紫色は空気酸化と紫外線によって発色するので、日

光堅牢度はラックダイ(カイガラムシ)や紫根とは比較

にならないほど強靭です。

それ故、ローマに赴くクレオパトラの御座船の帆布の日

焼けを防ぐ為に貝紫で染め、ローマの貴族を驚嘆させた

という話は有名です。

日本の律令時代、高貴な色とされた貝紫を装束の官位の

色に使われることはありませんでした。それはあまりに

も膨大な労力が必要で、均一な染色が不可能であったか

らであろうと思われます。

しかし古くから伊勢の海人さんが自分達の潜衣や頭巾に

海難魔除けの印を描いて来ていました。

貝紫の染色法の発展

直接塗布

古来から行われている染色方法で、貝のパープル腺の

ある部分を割ってパープル腺の中に筆を入れ、その練乳

の様な液を筆や版木などで直接に糸や布に塗り染める。

またはパープル腺液を器に取り集め、よく撹拌し海水で

液の濃度を調整し、薄布等で不純物を濾した液に糸や布

を漬ける方法があります。

どちらも紫外線に当てて発色させますが、紫外線の弱い

曇りの日の発色は紫グレーの様な色になり、干すのは長

波光の多い夕方より短波長の多い朝の光の方がすっきり

した発色になり、色にも筆舌し難い迫力が出ます。

染液化した加工染料

近年開発された貝紫染め染料として発売されています。

炭酸カルシュームとハイドロサルハイト(還元剤)を使

い、熱を加えて染色する方法でムラなく均一に染まり、

今日の一般的な貝紫染になっています。

 近年秋山眞和氏によって開発された、パープル腺液を

乾燥粉化し、いつでも染められるようにした還元建方法。

貝紫染めの難題の解決

貝紫染めは染色中もその後も染料の中に含まれる臭素

の為、染色後狭いところ保管しておくと少しずつ減臭し

ますが、臭いが気にならなくなるのに数年かかります。

染色直後に数日直射日光と風にさらすと臭いは消えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絹のマクラを作る

2022-07-30

絹枕使用体感              

 

 

 

家蚕枕

 

先日、絹から高血糖値を下げるサプリメントを作って

いる会社から絹の残綿の有効利用はないかと相談を受け、

早速、複数の絹加工会社にサンプルを送り、検討を依頼

しましたが、繭の色々な部分が混じり、桑葉の小片、草

木の小枝なども混入し、通常の状態ではないので、精練

やカードなど、手間をかけても歩留まりも悪く、一般的

な絹紡糸を作る事は不可能な事が判りました。

そこで糸〜織物という発想を捨て、開繭されて適当に切

断され綿から手でゴミを取り除きカードして絹綿を作り、

絹綿100%の枕を試作して使ってみました。

頭を枕に乗せるとフワっと耳の近くまで周りの綿が盛り

上がり、それでいて頭の着枕部分はそれほど沈まず、綿

が分かれず、柔らかーい暖かさに包まれ、その暖かさは

耳の下から喉を伝わり肩まで包み込んでくれます、その

感触の良さは筆舌し難いものがありました。深い眠りに

つけた事はいうまでもありません。半年来右肩の凝りが

ひどくなり、うっとうしい毎日が続いていましたが、翌

朝、肩こりが消えているのにビックリ。身体の動きも何

となく軽やかに感じたのです。常に野蚕絹のシーツと下

着上下を着て寝ていて、絹の肌触りには慣れていると思

っていましたが、また新たな絹の感触と機能性の恩恵に

出会いました。

絹と活性酸素

今まで絹は薄く使われて来ましたが、上記の枕の様に

あまり加工を施さず、厚く使う事で絹が人体にどの様な

機能性を発揮するのか調べてみる必要を痛感しました。

絹は保温、保湿効果により血行促進をする事はよく知

られていますが、それだけではこの劇的な肩こり解消は

説明出来ません。

家蚕絹フィブロイン(通常の糸に使う部分)は20種類

のアミノ酸(体外から摂取しなければならない9種類の

必須アミノ酸と体内でつくられる11種類の非必須アミノ

酸)で構成されていますが、その中に0.2%のシスチン

(非必須アミノ酸)、0.1%のメチオニン(必須アミノ酸)

が含まれ、それが毒性の強い活性酸素の電子を吸着して

中和するので肩こりを癒してくれる一因だろうと考えま

した。

活性酸素とは

大気中に含まれる酸素分子がより反応性の高い化合物

に変化した分子や元素の電子などの量子をいいます。

人はこれがないと生きて行けませんが、活性酸素が過剰

になると毒性が強くなり、その電磁波を中和しなければ

老化をはじめ様々な病気や癌の要因になると考えられて

います。一口に活性酸素と言っても9種類ありそれらの

毒性を中和する物の中には緑黄野菜や魚(青魚)介類が

あります。それらにはビタミンCやE、カルチノイド、

ホリフェノールなどの抗酸化物質が多く含まれます。

ところが食品や人が持つ酵素では中和出来ない活性酸素

が有り、絹のアミノ酸は体外から少しではあるがそれを

を中和しているのではないかと思した。

絹の枕が気持ちが良いわけ

1)細繊度と柔らかさ

絹の糸は繊維が細く、絹糸を構成しているアミノ酸の

60%を占める軟結晶部分が空気や水分を溜池の様に調

整し、保温、放温、保湿、放湿を人体に沿うようにコ

ントロールしているので、しっとりした安堵感のある

柔らかい肌触りを感じ、幸せホルモンの分泌につなが

ると思われます。

2)空気

細い繊維の束の中に沢山の空気が含まれます。

さらに絹の軟結晶に含まれる空気と繊維の多孔質(野

蚕のみ)間の空気が三重構造になって気持ちの良さを

増幅しています。

長期使用していると糸間の空気が減少して気持ちの

良さも減少して来ます。その時は枕の綿を手打ちし

て空気を入れて下さい。元に戻ります。

手打ちには時間がかかりますが、絹の糸間を通った

空気を吸うことは広葉樹林の森林浴効果が期待でき

気持ちが落ち着きます。

3)アミノ酸の機能性

絹は人と同じ20種類のアミノ酸(人と絹ではアミノ

酸の構成比は異なります)は親和性に優れていて肌

になじみます。

シルク(家蚕)のアミノ酸の40%強を占めるグリシ

ン(野蚕は20%~30%)は神経伝達物質でオキシト

シン(幸せホルモン)の分泌を促し、安眠効果をも

たらします。

但し、これらは人の体内にあっての効果であって、

体外から体内と同じ効果は期待できないと思います

が、他の繊維では感じられない気持ちに良さはアミ

ノ酸効を考慮しなければ説明ができません。

4)絹鳴り

枕の中の細い繊維は頭が動くと繊維同士がずれて絹

鳴りの音を発していると思われます。この音は耳に

は聞こえず皮膚が感じる音です。(但し、糸の精錬の

仕方でシュシュという音を発する事があります)こ

の音も気持ちを癒してくれるのではないでしょうか。

琵琶など和の弦楽器はこの聞こえない音を利用して

いるのでしょうか。

 

*ご注意!枕は丸ごと洗濯しないで下さい。綿は洗い

ません。洗うと絹綿が硬くなってしまいます。

打ち直しをします。

絹の残布などでカバーを作りそれを洗うよう

にお勧めします。

 

                     エリ蚕枕

柞蚕枕

 

 

 

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