Archive for the ‘絹の話’ Category

絹の食害

2020-01-22

絹は古今東西人々の憧れの繊維で、古くは資産的価値

をも有する物でした。

したがって、絹は大事に仕舞われる事が多く、いざ着よ

うとして取り出したらいつの間にか虫に食われていて、

あわてた経験のある人は大勢いらっしゃると思います。

絹を食う虫

繊維害虫は今日までに40種類ほど知られていますが、

多くの繊維害虫は絹を食べません、しかし「蓼喰う虫も

好きずき」と言われるように、絹を好んで食べる虫もい

ます。この虫たちは絹を構成する蛋白質を消化する酵素

を持っていて、他の虫が敬遠する絹を独占して食べられ

るからではないかと思われます。

それは一般的に「カツオブシ虫」と言われる小さな虫で、

正式には「ヒメカツオブシ虫(鞘翅[甲虫]目)」「ヒメマ

ルカツオブシ虫(鞘翅[甲虫]目)の2種類です。

他にイガ(鱗翅目)という虫も絹を食べるので、日本に

はつごう3種類の絹食害虫がいます。

絹食害虫の食性

絹を食べる3種類の虫達の好物は絹よりむしろ毛です。

毛の中でも上等なカシミア(シャトウシュ)には目があ

りません。カシミアと一般の羊毛を一緒にしまっておく

と、カシミアの方に食害が集中します。

毛織物の善し悪しは虫に聞いてみるのが一番です。

この虫達は雑食性で食べる物がなければ木綿や麻などの

天然繊維ばかりか、ナイロン、ポリエステル、アクリル

などの合成繊維も食べます。

虫にとって絹の何処が好みか

肉や魚、野菜、果物どんなものでも美味しい部分とそ

れほどではない所があります。虫にとって絹にも旨い部

分とそうでない所がある様です。

絹の糸を作る時、糸を保護している糸の外側のセリシン

の取り方(精練)で糸の風合い、感触が千変万化します。

虫はセリシンが多く付いている物の方を好みますので、

シャリとしていたり、ザラっとしている物や艶のない固

めの絹紡糸、即ち、お米でいえば糠の部分が多く付いて

いる方を好みます。虫は栄養豊富な方を選択しているの

です。10づき米の様によく精練されてセリシンが殆ど糸

に付着していなシホンの様ない物はあまり好みません。

よく精練された物を虫が食べる時、未精練の物を食べる

ときの様に穴をあけるのではなく、糸の表面をなめる様

に食べる事が多いです。ちょっと目には穴があいていな

いので、虫には食われていないと思いがちですが、表面

を削られた糸の部分からは目に見えないほどの毛羽立ち

が起こります。

カツオブシ虫の行動

カツオブシ虫はあまり高い所は苦手のようで、地上か

!015m位の高さしか飛ばないようですので、4階以

上の建物にお住まいの方は殆ど絹の食害は有りませんが、

エレベータなどで高い所にも辿り着き生活する虫もいる

ようですので気をつけるに越した事は有りません。

この虫は日本中均等に何処にでもいるわけではありま

せん。地方によっては生息しない所も有るようですが正

確な調査はされていません。

防虫対策

防虫対策の1番目は何といっても使ったまま収納しな

い事です。身体の老廃物や食品の飛沫など虫の好物を残

ささない事が肝要です。

絹は防虫加工しないのが一般的ですので、収納容器には

樟脳やナフタリン、パラジクロルベンゼン系等の昇華性

防虫剤を入れるのがよいと思います。

絹を食べる虫は食品も食べますので、家の中に食品の食

べ残し等が床や畳みに付着していない様によく掃除する

事、特に台所や食堂を清潔にしておく事が大きな防虫対

策です。

もう一つの防虫対策は仕舞い込まずに頻繁に使う事で

す。収納場所から出して風を通すのもその一つです。

絹を通った空気はほんの少し広葉樹林の森林浴的効果が

あると思われますので、その空気を吸う事で気持ちが和

らぎ,幸せホルモンの分泌が促され、イライラしなくな

ります。昔の殿様や明治の元勲達の部屋の襖や壁に絹を

多用した事もうなずけます。

虫が好む絹の方が健康維持の機能性などが精練されて

柔らかく艶のある絹より高いといえるでしょう。

これからは虫に教えてもらいながら絹を健康の為に使う

事を広めて行きたく思います。

食害を受けない絹

野蚕絹で特にタンニン類の色素がセリシンにもヒブロ

インにも含まれているタサール蚕や柞蚕、与那国蚕等は

虫がタンニンを嫌うとみえて、食害の報告はありません。

絹の後練り,先練り

2020-01-22

絹は繭のどの部分を使うか、後練りか先練りかで織物

の柔らかさ硬さが大きく異なります。

大別して、長繊維として繭から揚げた糸(現代の繭から

1500m前後とれる)を何本か合わせて糸にして、よ

く精練(繭糸の外側に付いているニカワ質のセリシンを

とる、練るとも言われる)された物は艶やかで、さらり

としていて張りがあり、「これぞ絹!」なのですが、絹

に不慣れな人からは麻ですか?と聞かれる事があります。

長繊維をとった残りは繭糸が切れていますので、短繊維

として絹紡糸(紡ぎ糸)にされます。

糸の撚りのかけかたにもよりますが、艶は長繊維の物よ

り劣ります。空気を含んでいて暖かく、木綿タッチでソ

フトな柔らかさがあり、一般的には喜ばれます。

後練り織物

羽二重はなぜ柔らかいか

よく世間では赤ちゃんのほほをなでて「羽二重の様な

肌」という様な表現をします。しっとりしていて、柔ら

かくしなやかな物に出会った時に使われます。

多くの人が抱いている絹のイメージなのでしょうか。

絹織物は先練り後練りかで、しなやかさの性質が大き

く違って来ます。

羽二重を作る時は繭から揚げた糸(生糸)をニカワ質の

セリシンが付いたまま、糸に撚りをかけず、水でぬらし

て強く張った「たて糸」に、同じ様に撚りのない生糸を

「よこ糸」にして緻密に織り上げると、硬直してゴワゴ

ワした織物が出来ます(生機:きばた)。それを石鹸や炭

酸ソーダ、ケイ酸ソーダなどでの精練液で煮沸するとセ

リシンが溶けて除去され、今まで固くくっついていた細

くて長い糸の繊維の束の1本1本が動きやすくなって、

やわらかい織物が出来ます。これが後練りという技法で

す。

この技法で身近な物に縮緬やクレープがあります。

縮緬は生糸を「たて糸」にして、「よこ糸」に互いに撚り

の逆向き(S撚り、Z撚り)の強撚糸を2本ずつ交互に

織り込んで作ります。織り上がった生機はセリシンのニ

カワ質が付いているのでゴワゴワしていますが、精練す

るとシボのある柔らかいくサラリとした生地が出来ます。

同じ後練りでも随分感触が違います。

他にクレープデシンや光沢の美しさを強調した物に生絹

きぎぬ)朱子、綸子、サテン等があります。

富士絹のやわらかさとの違い

よく羽二重とやわらかさを比較される絹に富士絹があ

りますが、富士絹は生糸を採った残り糸を細かく切って、

絹紡糸として木綿の様に織った物で、空気を含んだ柔ら

かさで、ぬめり感が違います。

後練りの化学繊維への応用

絹に限りなく近づけようと絹織物の後練り技法を応用

した化学繊維にポリエステルがあります。

先練り織物

先練り織物は生糸を精練してから織るのですが、生糸

をそのまま精練するとけばだってしまい、織りにくくな

るので、生糸にあらかじめ撚りをかけてから精練して、

セリシンのない絹糸(練り糸)を「たて」「よこ」に使っ

て織り上げた物が先練り織物です。

ブロケード、錦織、緞子などの美術的織物、サテンや

素朴な紬など、多くの絹織物は先練り織物ですが、糸の

練り具合と、糸の撚りの掛け方で硬軟、織物の風合い(

ぬめり、シャリ感、こし、張り、膨らみの強弱等手触り、

光沢、色、ドレープ性、絹鳴り、衣ずれ、視覚等の人の

心に触れる官能、など)が大きく変化します。さらによ

こ糸に太い糸など入れれば千差万別に組み合わが可能で、

限りなく幾種類もの織物が出来ます。

また、練り糸を染色してたて、よこに織ると縞、格子、

絣、各種多色模様など多種多様な先染め織物になります。

後染め織物には手描き、型染め、絞り、木版プリントな

どがあります。

産地の違い

後練り織物と先練り織物では精製に適した湿度が違う

ため、比較的湿度の高い日本海側に後練り織物産地が発

達し、内陸側に先練り産地が形成されました。

人類5千年の絹への切磋琢磨の結果

人が絹と取り組んで5千年の間に、糸づくりや織りの

多様さには目を見張る物があります。また、うすい物を

織らせたらインド、ドレープのしなやかさを表現するの

はイタリアなどそれぞれの国で特技があります。

絹文化を「世界共通の絹文化遺産」として国連に登録で

きないものでしょうか。

絹と花嫁の角隠し

2019-12-19

綿帽子の始まり

古代日本では政権の武力の基盤である鉄は朝鮮半島か

らもたらされていました。

それを背景に大和朝廷は大化の改新を成功させるのです。

政権基盤が一段落した西暦663年、朝鮮半島で高麗、

百済連合軍に新羅が攻められ、苦戦する新羅に唐が加勢

し、形勢不利になった百済救済に大和朝廷は鉄等の交易

を守る為に、4万の援軍を朝鮮半島の白村江に送ったの

が「白村江の戦い」です。

大和には4万もの兵士に着せる軍装がにわかにありませ

ん。そこで各地で繭生産が振興しはじめて、税の「調」

として納められた、軽く、温かで防矢効果の優れた緜

(真綿)を兵装(胴衣、兜)に使用したのです。

特に兜は何層にも重ねた緜を濡らして固くて着装したよ

うです。

(鎌倉時代の蒙古襲来の時、蒙古兵の軍装は真綿と羊毛

のフエルト)

この時、綿帽子をかぶられて陣頭指揮をとったのが神功

皇后でした。

また神功皇后は応神天皇を懐妊した時、真綿の腹帯を巻

きました。この様なこまごまとした身の回りの世話をし

たのが侍女「伊波多姫(いはたひめ)」で、今日でも妊娠5ヶ月目にす

る腹帯を「岩田帯」というのはその言い伝えといわれて

います。

いよいよ出産となり腹帯が不要になると、伊波多姫はそ

の腹帯を頭に頂き、出産を万事取り計らったと言われ、

その後、祝い事の時は女性の髪の乱れを防ぐ実用を兼ね

て、真新しい真綿や白絹を頭に巻いて勤める風習が出来

たと伝えられています。

その後、伊波多姫の子孫は京都の桂に住んだので、「桂

女」と呼ばれ、出産や祈祷、祝い事などを専らの仕事に

して来ました。そのような時は必ず真新しい真綿を頭に

巻いて行ったようで、これを人々は「桂包(かつらづつみ)」と呼ぶよ

うになったのです。

宮中の観菊

平安時代には9月9日(旧暦)の重陽の節句は菊の節

句とも言われ、宮中では観菊の宴が催され、杯に菊の花

を浮かべて酒を酌み交わし、長寿を祝い、詩を詠みあっ

たそうです。

昔はこの季節、京都では霜の降りる事もあったようで、

菊の花に真綿をかぶせて霜除けをしたのだそうです。

「絹の綿帽子」と呼ばれていました。

菊の香りを含んだ真綿はなんとも言えぬ高貴な香りがし

て、その真綿で体をなでると、その年は無病息災に暮せ

ると伝えられていました。

時として、菊の綿帽子を頭にのせたとも考えられます。

花嫁の綿帽子

江戸時代になると武家を中心に、大きな祝い事である

花嫁の輿入れの時に桂女のかぶっていた綿帽子を花嫁が

かぶるようになって来ました。

しかし庶民にはそうはいきませんので、手ぬぐいをかぶ

る事も有ったようです。

花嫁の角隠し

時代が進むに連れて、綿帽子は、祝い事ばかりでなく、

実用にも色々工夫され、使われました。

寒風を凌ぐ「額綿」。{被綿(かずきわた)}など烏帽子の様な帽子風な

形が出来て来ます。

また、真綿ではなく、練って柔らかくした絹織物も使わ

れるようになってきました。

今日の花嫁の角隠しは意外に新しい事で、明治時代に

なってからの風習のようですが、昨今の結婚式に角隠し

姿を見かける事は少なくなりました。

風俗習慣と云うものは時代と共に知らぬ間に変化して行

くものです。

真綿は軍事にも使われましたが、庶民の生活の中に深

くとけ込み、風邪を引くと喉に真綿を巻いたり、布団や

褞袍(どてら)の皮に使ったり、生活の中にとけ込んでいましたが、

この様な事ももうすぐ忘れ去られようとしています。

戦後人工的に絹を作る研究が進み幾つもの化学繊維が

出来て来ましたが、いずれも絹には遠く及びません。

絹ほど親和性に優れた繊維はまだ他に見つかっても、出

来てもいません。

私達の生活に絹がどんな形で再登場して来るのか期待さ

れるところです。

豊橋に絹の製糸業を興隆させた「小渕しち」

2019-12-19

江戸末期から明治初期の三河、遠州の繭事情

三河の国は奈良平安の昔は日本でも屈指の良質の繭生

産地であったが、江戸時代末期には上州方面には養蚕、

製糸などの技術が遠く及ばない状態でした。

明治政府は殖産興業として繭生産、生糸輸出に力を入れ

ていて、三河、遠州地方も多くの家で養蚕を手掛けてい

ました。ところが三河地方には製糸工場が無いので、繭

を製糸場のある上州の方面に売りに行かねばならず、上

州からは足元を見られて安値で買い叩かれ、これを何と

か改善しようと地域の先進的な人達が思案していたのが

明治12年でした。(明治5年富岡製糸場開設)

小渕しちの16才の決意半生

小渕しちは弘化4年(1847)群馬県勢多郡富士見村

の貧しい農家の次女として生まれ、学校にも行かず、7

才の頃から母親のかたわらで、見様見真似で繰糸の技術

を覚え、10才の時には1人前の仕事ができるようになっ

ていました。15才の時製糸所に住み込み見習工に出たの

ですが、独立の意思強く、比類のない素晴らしい技術を

惜しまれながら退職したのです。明晰な彼女はその間、

繭の買入れや生糸の取引なども観察していたのです。

そんなある夜明け、自分の着物一切を8キロ先の質屋に

質入れして2両の金(製糸所の1年分の給料)工面して

繭市場で繭を買って自分で糸を作って独立しようとしま

したが、スリにお金をすられ途方に暮れましたが、人一

倍の勝ち気な彼女は母親の着物1枚を質入れし18銭の

元手で独立するのです。

17才で婿を迎えたのですが、その婿がのむ、うつ、乱暴

、と手の付け様がない人で、しちの両親は婿の素行を繭

の仲買商で、将来名主に推されようかと云う裕福な地主

の部落の区長にいつも相談をしていました。(安政3年(

1856)国定忠次刑死)三度流産して四度目に盲目の子を生

み、その子が13才になった時、盲目の子を残して家出

をしたのです。

勿論、区長の中島伊勢松も家も子も財産も身分も捨て、

徳次郎と名を変えて、しちに同行したのです。

三河との出会い

二人はお伊勢参りの夫婦をよそおい、甲州、遠州を経

て二川の宿に着きましたが、宿帳から上州の人と知れる

と、その夜の内に「糸繰りが上手な人が泊まっている」

と云う噂が広まり、長雨で逗留せざるを得ない二人を囲

んで製糸技術の話しを聞こうと養蚕の篤農家や繭仲買商

などが集まって来ました。

しちは二川に拠点を作る決意をして、戸籍も大厳寺の和

尚に作ってもらい、役所に届けました。

しちは大工に頼んで糸繰器を作り10人の女工雇う小さ

な製糸場を開き、明治16年には50名の女工を擁する

製糸場の経営者になっていました。

襲いかかる苦難

この頃三河地方にコレラが蔓延し、警察は流入者がコ

レラを持ち込んだのではないかと、流入者を調べ始めま

した。ある日しちの所に警察が来て、戸籍法違反、不義

密通罪で徳次郎と、和尚を捕らえ、それぞれ7年、5年、

刑に処せられ、しちは7ヶ月の未決となりました。

和尚は3年目、徳次郎は4年目に獄死してしまいました。

しかも、その事を知った上州地元中村家が大厳寺に埋葬

した徳次郎の遺骨を持ち去ってしまいました。

しちが警察から帰って来ると近隣の人は冷たくなり、

育てた女工達も引き抜かれ、あちこち製糸場ができてい

ました。ところが多くの女工達はしちの帰りを待ってい

たのです。ここで、しちもまた運命の打撃にたえて行こ

うと云う、強い意志を固めたのです。夫の3年忌も過ぎ

て、東海道線が全面開通した年、人目を避け故郷上州の

夫と在所の墓参をして、帰りの宿で頼んだあんまが10

年前捨てた我が子「よね」だったのです。しちはよねを

引き取り婿を迎え一戸をもたせました。

逆境が成功を導き、製糸豊橋を形成

その頃になると二川から豊橋にかけて新しい製糸場が

出来て、資本の関係からしちの工場は経営が苦しくなっ

て来たのですが、しちはそれまで製糸場で引き取らない

玉繭から立派な生糸を採る技をあみ出したのです。

他の業者と競合する事なく、安くて入手し易い玉繭を使

った新製糸産業を起こしたのです。

その糸は桐生、足利。八王子などに道が開け、その(ふし)

物の名声は高まり丹後、加賀、越後方面から続々注文が

来るようになり、輸出もされるようになりました。(男工

100,女工1000人)一方しちは製糸業者の組合を組織

し、各種博覧会に出品して賞を受け、大正天皇に女性初

の個人拝謁し、82才で永眠しました。

*参考文献:丸山義二著 「小渕しち」

絹の二重織ストールで重ねの色を染める

2019-11-07

野蚕、家蚕生糸の光沢の差を利用

野蚕と家蚕の生糸(紡、紬糸ではありません)はそれ

ぞれ光沢が異なります。

一般に野蚕糸は草木で染まらないと言われますが、家蚕

の生糸と比べると、ややうすく光沢のある品の良い色に

染まります。

野蚕と家蚕絹の薄地を重ね袋織りにすると、片面は野蚕、

もう片面は家蚕の二重織が出来ます。

この素材を草木(茜、藍、ログウッド等)で染めると家

蚕絹はしっかり濃く染まり、野蚕絹は少しうすく染まり

ます。うすく見えるのは、糸の形がおにぎり型をした家

蚕絹より野蚕絹(ヤママユガ科)の糸は扁平型なので光

が乱反射され、吸収された一部の光が家蚕には見られな

い多孔質構造により、さらに複雑に乱反射され、吸収さ

れた時と違った、やや紫色波長の光となって糸の外に放

出されるので、人の目には染まりが悪いと見えるのです。

この濃淡別々、二枚重なった色艶は不思議な色彩の世界

に人を魅惑します。

この微妙な色の変化、見る角度による彩度の違いに誰も

が驚かされます。風に揺れれば違って見えるのです。

構造色

色には染織色と染めないでナノ構造の物質の幾重にも

重なって発色する玉虫の羽根の様な構造色があります。

染織色は時間とともに退色してゆきますが、構造色の退

色はありません。永遠の艶なのです。

勿論、絹はナノ構造物質に比べればはるかに大きな物質

ですが、繊度の細い絹織物を二枚合わせる事は、野蚕と

家蚕の糸を1枚に織ってもその効果は見られませんので、

ほんの少し玉虫の羽根に近づいていないでしょうか?

薄絹を着る

今も昔も女性は薄いものが好きなようです。

古来中国の高貴な女性は厚手の錦織の上に蝉の羽の様に

薄い絹を着る事が『綺麗』だったのです。

(綺:上質な薄手の絹織物—-無地や先染めの文様織り、

麗:鹿の群れ—-奈良の都に多くの鹿を遊ばせた所以?)

平安の昔は生地に柄をうまく定着させた染織が出来な

かったようで、色の表現を重ねの色で表現しました。白

に白を重ね「雪重ね」ピンクにピンクを重ね「桜重ね」

といって、その濃淡で着る人の趣味教養を競ったと云わ

れています。まさに十二単はそのための重ねなのです。

今日でもスカートやパンツの上に寒い季節でも薄い無

地のチュールの様な素材を着ている人を見かけますが、

いずれも合わせる素材がミスマッチですので、綺麗には

及ばないどころか、何か気の毒のようにも、また悲しく

も見えるのは私だけでしょうか?

二重織草木染めストールの販売

草木で染めた無地の家蚕とタサール蚕の生糸の二重織

のストールは女性の最も好む柔らかく出来ているにもか

かわらず、シンプル過ぎて人目を引かないのか、以外に

売れません。

ときとして目にとめ、「こんな色艶の物に出会えて幸せ」

と、狂喜して求めて下さる人がいる反面、勧めてもあま

り反応しない人も多くいます。

このデリケートな作品は、主たる光源が光の波長の短い

LED電球のもとでは美しさを増しません。

ですから、最近の百貨店ではLED光源では絹が売れに

くいように、このストールも精彩を放ってくれません。

売場にハロゲン球の様な太陽光に近い光を入れると、一

気に花が咲きます。デパートの繊維商品の殆どは化学繊

維で、化学繊維はLED光源で美しく見えるので、絹の

為に光源を換えようとはしません。

色艶は人それぞれに見えている

光の波長は夕日の赤さや薪能の光の揺らめきを引き合

いに出すまでもなく、人の感性を大きく左右します。

しかし人の目の色彩を識別する錐体は人それぞれに細

分化された進化をしているようで、現代のホモサピエン

スは夜行性哺乳類の時代の2錐体(白、黒識別)から3

錐体(多色識別)に進化し、それからさらに進化して4

錐体に近づいている人も若干いるようです。

この3錐体を超えた人達の目にはこよなく美しく見える

のではないかと思われます。

色の好みの判断は人の目の進化と光の波長や時代の道

徳律(日本では侘び寂びが美意識の中に取り入れられて

より大きく色彩の好みが変わりました。草木染めの基本

はなんとかして原色を染めようとして来た歴史です)に

左右されて、人それぞれ、十人十色とは良く言ったもの

です。

絹の健康利用

2019-11-07

シーツ、毛布を作る

絹の機能性利用活発化による絹新利用

20年位前「食べる絹」が発表されてより、各研究機関

で急速に絹の機能性が研究され始め、昨今では絹入り化

粧品、石鹸、サプリメント、人工骨、下着等々活発な開

発が進んで来ました。

絹は表面25%前後がセリシンと云う蛋白質で、芯に当た

る部分の75%位がフィブロインといわれる蛋白質です。

一般的にはセリシンを除いてフィブロイを絹として利用

し、セリシンは産業廃棄物にされていました。

ところが捨てられていたセリシンの方がより諸機能性が

高いことが判って来て、医薬品など医療関係利用に研究

が盛んになって来ました。

また、蚕は医薬品開発の基礎実験動物として利用し始め

ました。

健康用品 タサール蚕(野蚕)糸でシーツを作る

美容、健康、機能性などの言葉は若年層のみならず、

老若男女誰もが敏感に反応する時代になって来ました。

そこで、以前から何度も製作したタサール蚕のシーツを

機能性という観点から製作し、着用実験を試みました。

結果は一般に売られている家蚕のシーツより野蚕のシー

ツの方がより軽く、柔穏やかな眠りを誘ってくれること

が判りました。『竜宮にいざなわれる様な気持ち』

なぜ、タサール蚕糸のシーツは快適か

タサール蚕はインド東北地域に生息するヤママユガ科

の野蚕で、近似種に日本の天蚕、中国の柞蚕があります。

絹を作る生物は地球上に10万種類もいるといわれますが

多孔質繊維を作る生物はヤママユガ科の昆虫のみです。

タサール蚕の絹糸の20%強を孔(穴)が占め、その空

間が保温、保湿を貯水池のように、体温、発汗に合わせ

て調節しっていると推測されます。

その温度、湿度は繭の中で身動き出来ない蛹を安全に一

定期間保護するゆりかごの役目を担っていて、人も絹に

覆われると、べたつかず(蒸れず)、体温を超えず、下

がらず、快適と云うわけです。

さらに、家蚕も同じですが、シルク蛋白質はアミノ酸

の結合が固結合の部分と軟結合の部分が有り、6割を占

める軟結合の部分が温度、湿度の貯水槽の役目を果たし

ているので快適なのですが、野蚕のシーツは家蚕のそれ

よりも多孔質ゆえんの快適性が顕著であると思われます。

もう一つ忘れてならない事は、シルクの蛋白質は必須

アミノ酸で人の肌によく馴染む親和性に富んでいて、肌

に異和感を覚えさせず、より安心感を満たしてくれます。

加えてシルクは抗菌性に優れているので、アンモニア

を作る雑菌などの繁殖を抑制し、防臭性に富んでいます。

その様な四つの条件によりタサール蚕糸で作ったシーツ

は気持ちが良いという訳です。

エリ蚕糸の毛布を作る

エリ蚕はインドアッサム原産の野蚕の仲間ですが、繭

がフワフワ柔らかいので糸も張がなく、カシミアタッチ

の絹で、繊維長が短く生糸は採れませんので、絹紡糸と

して利用されますが、絹の付加価値である長繊維でなく、

特有の艶が鈍いので、絹素材の中では最も安価です。

柔らかいので伸縮率も大きく従来の絹織物的発想では上

手な利用が出来ません。

色々な物を作ってみましたが、失敗作が多く、厚手のシ

ョールなどにはむいている事が判りました。

そこで柔らかさを利用した毛布を試作しました。

糸足の長いフワッとしたものを作ろうと思いましたが、

長期使用後、糸が寝てしまう恐れがありましたので、パ

イル状のシーツにしました。やや加工賃は高くなります

が、形状変化が起こらず、高級感が増して大変よい物が

完成しました。

野蚕ですので多孔質な糸ですが、孔の数がタサール蚕に

比べて10%未満なので、多孔質ゆえんの機能性は劣ると

思われます。しかし、細くて柔らかい糸の間の空気がそ

れをカバーし、感触はタサール蚕のシーツとは違った、

しっとりした穏やかな安堵感に包まれます。

夢のムガ蚕糸のシーツ

インドアッサム州でしか採れないムガ蚕繭の糸は細く、

軽くて黄金にかがやき、野蚕糸の中では最も多くの孔(

600前後)を持つ多孔質の繊維です。

実験では『母親の胎内に居る』かと思われる様な気持ち

になります。

なんとかしてこの素材でシーツを作り一人でも多くの人

に利用して頂く機会を作りたく今後も努力して行きます。

自然素材の持つ機能性を上手に利用する事が省エネであ

り、環境保護に役立つのではないでしょうか。

絹のシーツ・毛布

2018-06-08

絹の機能性利用活発

20年位前「食べる絹」が発表されてより、各研究機関

で急速に絹の機能性が研究され始め、昨今では絹入り化

粧品、石鹸、サプリメント、人工骨、下着等々活発な開

発が進んで来ました。

しかも絹は表面25%前後がセリシンと云う蛋白質で、芯

に当たる部分の75%位がフィブロインといわれる蛋白質

で出来ていて、一般的絹はセリシンを除いてフィブロイ

ンを使って、セリシンは産業廃棄物にされていました。

ところが捨てられていたセリシンの方が諸機能性が高い

事が判って来て、医薬品など医療関係利用に研究が盛ん

になって来ました。

絹の健康用品利用

世界中、絹は高級な衣料品として,中世までは支配階

級、富裕層に、現代はお洒落な衣服として多くの人々に

利用されて来ましたが、昨今機能性をうたい、しかも全

自動の洗濯機利用可でアイロン不要の化学繊維の出現で、

ドライクリーニング表示義務(絹製品は水洗いでスチー

ムアイロンガ良いのですが)の絹製品の販売不振が若年

層を中心に広がって来ました。

ところが、美容、健康、機能性などの言葉は若年層に敏

感に反応します。

そこで、以前から何度も製作した野蚕のシーツを機能

性という観点から改めて着用実験を試みました。

結果は一般に売られている家蚕のシーツより野蚕のシー

ツの法がより柔らかな眠りを誘ってくれるようでした。

野蚕でもより多孔質な繊維ほど気持ちが良い事が体験上

判って来ました。

また多少のシーツの厚さでは大きな差は感じられません

でした。

 

絹の糸の話し

2017-08-19

繭から絹糸作る五つの方法

先人たちは野にある色々な繭を知恵を絞って糸にして来ました。その中でもカイコガ科の家蚕が最も糸が揚げやすく、5千年も前に昆虫の家畜化を成功させ、富岡製糸所に代表される様に絹糸が工場生産できる様になりました。家畜化されていない各種野蚕は繭の種類によっては紬(紡)糸しか採れないものもありますが、今でも糸揚げは熟練した人が1粒ずつ行なっています。

それでは繭からどの様にして糸をとって、どんな種類の糸が出来るのでしょうか。

生糸(きいと)

お湯の中で繭を煮て湯気と一緒に上がって来た糸口から1本の繊維を引出し(現代の繭から1500m)、それを何本か引き揃えた物が生糸といわれるものです。

生糸には表面にセリシンというニカワ質の蛋白質がついていて、乾燥するとガサガサして麻の様ですが、精練の仕方でシャリシャリにも柔らかくも千変万化させる事が出来ます。

生糸の糸の太さはデニールで表示されます。

1デニールは9000mの長さの糸が1gを言います。

21D(デニール)の糸は21中と表示されます。

蚕から吐糸される糸は吐きはじめは太くて次第に細くなるので、幾つかの繭を合わせて1本の糸にすると目視では分りませんが全体として不均なので「中」を付けます。

この表示は合成繊維など長繊維の全てに使われています。

玉糸

繭の基本は1頭が一つの繭を作りますが、時々二頭が一緒になって1粒の丸形をした大きな繭をつくります。これを玉繭と言います。

この繭からは2本の糸が絡んで節ができ、きれいな糸が揚げられません。この糸は玉糸とよばれシャンタン等の節のある絹織物に利用されて来ました。

以前豊橋はこの玉糸の産地でした。

真綿

玉繭や生糸を揚げるのに不適当な繭(大きさの揃わない、変形等)をアルカリ溶液などで処理して、セリシンを除いて柔らかくした繭を平板状に引き延ばしたものが真綿です。

本来「綿」いえば絹綿の事でしたが、絹より後に木綿の綿が一般的になり、木綿と区別する為に絹綿を「真綿」と云う様になりました。

真綿は昭和40頃までは全国どこでも布団地と綿の滑り止めと保温の為や、褞袍(どてら)の保温と綿切れ防止に使われてきて、現在もその事を知る人は大勢います。現在は紬糸に利用されています。

紬糸

真綿を引き伸ばしながら手でつむいだ糸や精練した屑繭から足踏み機などの道具を使って作った糸を紬糸と言います。

現在は織物の創作作家さんが緯糸に入れて一味付けるのに利用されたりしています。

生糸が正式な絹糸とされているので、紬糸は屑糸などが使われるため、どんな高価な品であっても正式な場所には着て行く事は控えた方がよいと言われます。

絹紡糸

生糸を製造する行程で出たくず糸や屑繭を精練して綿にし、長短不揃いな繊維を一定の長さにカットして機械で紡績した糸を絹紡糸と言います。

絹紡糸は精練の程度により、半練り、七部練り、本練りの区別があり、繊維長が長いものほど価格も高く、生糸に近い価格の物もあり、銘仙や富士絹にも使われました。

綿や麻などと混紡にも利用されています。絹紡糸の糸の太さは木綿などと同じ様に番手で表示されます。番手表示は重さを一定にしてその長さで糸の太さを表示するもので、デニールとは逆に数値の多いものほど細くなります。

絹の品質表示

絹の品質表示は上記のどの方法で作られても『絹』ですので、購入する時どの様な絹素材で作られたか、販売員に聞いてみる事も必要ですが、残念ながら専門店以外、店頭で的確に応対出来る所は殆どありません。また、洋装としての絹専門店も殆ど無いのが現状ですが、呉服屋さんが絹の知識は豊富です。

絹製品は生糸で作られた物が絹紡糸の物より高価な物が殆どです。しかし生糸で作られている物の方が絹紡糸の物より柔らかい様でどこかシャリ感があり、麻と間違えられる事が時々あります。絹紡糸はあまり腰がなく柔らかで、太番手の屑繭織物などは木綿に近い感触で、艶もありませんが、一般的にはシャリ感のない絹紡糸の方が柔らかいという絹のイメージに沿っているようです。

 

絹の糸の構造

2017-06-15

絹ってどんな繊維

絹は天然繊維の中で綿や麻の様なセルローズ系の繊維ではなく、ウールと同じような蛋白系のアミノ酸鎖で
出来た繊維です。その蛋白質も球状蛋白質ではなく真っすぐに連なる繊維状蛋白質で、セリシン、フィブロ
インという2種類から構成されています。他にロウ質、炭水化物などがほんの少々混じった特異な繊維です

絹の蛋白質

セリシンとフィブロインは同じ蛋白質でありながらアミノ酸の種類と結合の順序が違うので、物理的、化学
的、生理的機能の違いが生じます。

セリシンのアミノ酸組成はセリンが1/3で水と親しみやすいスレオニン、アスパラギン酸、グルタミン酸な
どで70%威以上を構成している水に溶けやすい成分です。フィブロインは分子量の小さいグリシン、アラニ
ン、セリンなどで占められているので強く縦に結びついていて強靭で伸縮性があります。

野蚕ではアラニンの方が多いといった違いがあり、蛋白質の結晶の化学構造も異なるので、強度や各種機能
性、染色性の違いが出て来ます。この事が染織家に野蚕染まらないと云われる所以です。

絹糸の構造

1本に見える絹糸は蚕の体内にある左右1対の絹糸腺から出された2本のフィブロインがセリシンで覆われ
たものです。

セリシンは水やアルカリに溶けやすい順に4層になってフィブロインを包んでいます。

その割合は繭の種類によって異なりますが、家蚕ではセリシンが20%〜30%,フィブロインが70% 〜80%で
す。セリシンを取り除く事を精練といって、きれいに精練すれば滑らかなシホン地の様になり、なん部練り
にするかでシャリ感が出てきたり、生地の風合いや感触が違って来ます。こうした加工の違いで絹が麻の様
にもなりフワフワ、スベスベの柔らかい繊維にもなるゆえんです。フィブロインは1000本のフィブリルの
束から出来ていて、さらにそのフィブリルは900本のミクロフィブリルから構成されており、ミクロフィブ
リルは350本の分子が縦に繋がって作られていて、それぞれが規則正しく縦方向に並んだ結晶領域と不規則

な並び方の非結晶領域が4:6の割合で出来たものです。

これが絹の性質を決定づけている大きな要因です。結晶部分の分子は強く引き合い、凝縮しようとするの
で引っ張る力には鋼鉄より強いといわれ、弾力性に富んでいます。

非結晶部分は分子の並びがアットランダムなので伸縮性があり柔らかく、不規則の分子の間に水分も多く吸
収で絹を着て暫くすると体が温まるという保温効果(空気を含むというもう一つの理由もある)を発揮し、
一定の湿度を吸収すると放湿を始めるという溜池的な機能を果たしています。放湿の時発生する気化熱は上
がり過ぎた温度をさますという役割を果たしています。

この様なわけで絹を着用すると品よくほのかに暖かく、蒸れなくてべとつかなく、気持ちがよいというわけ
です。

こうした絹を構成する分子の幾種類もの親水基は絹の優れた染色性にも寄与しています。

この様な糸の構造は繰り返し摩擦が加わると、フィブロインが竹を割った様に裂かれフィブリルが枝毛にな
って現れます、更に摩擦が繰り返されるともっと細いミクロフィブリルも裂けて湯気の様な繊毛を発生させ
ます。ですから、絹のもみ洗いは避けて下さいという理由です。

また、シャリットしたセリシンが多く含まれた絹を洗う時はセリシンがニカワ質的蛋白質なので高温で洗濯
をすると親水性と相まって水に溶け出してしまいます。絹を長持ちさせるためには30℃以下の水で洗濯する
とよいといわれるわけです。

 

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