絹の考古学入門(その1 日本の絹のルーツ)

2020-04-27

絹の考古学へのきっかけ

昨年京都市立大学の漆の研究者から古墳から発掘され

た棺の一部と思われる物の切片の顕微鏡拡大写真をメー

ルでいただきました。それは漆で絹と砂が45層に重なっ

た板状の物で、この絹はどの様な種類で、いつの時代の

物か判りませんか。という依頼でした。

蚕から吐糸された糸の断面が中央部に「お握り型」に見

える所が散見され、周辺に「変形三日月型」の所が混在

していて判断に困りました。切片を作るとき周辺が押し

つぶされたとも考えられましたが、変形型の方がやや多

いので、変形型の特徴がある日本の山野に生息する「天

蚕」ではないかと返信しました。後日、東京農大昆虫機

能開発研究室の先生にそれぞれの糸の断面積の計測など

をして頂いた所、「これは6世紀前半の中国の揚子江中

流で採られた家蚕の糸ではないだろうか」という所見が

ありました。私はこの事に感銘を受け、仕事の合間に絹

の考古学を紐解くようになりました。

絹の考古学に必要な基礎知識

官能検査1)目視家蚕、野蚕の判断(絹の艶の差)、

糸撚り、織方、織密度、染色深度、

文様,経年変化

2)触覚家蚕、野蚕の判断(繊度差)、繊度

偏差(古代〜現代繊度偏差減少)

科学的検査法3) 光学顕微鏡、走査電子顕微鏡、放射

性炭素測定

各種知識4)分類形態学、生態学、細胞学、遺伝子学、

育種学、生物地理学、

5)歴史学、人類学、民族学、民俗学

6)気象学(石器時代〜現代、世界の地域毎の

気温、海水位)

7)絹に関する漢字意味を理解し日中古文書を読む

多用される漢字の意味

「絹」という字は今日の日本では絹の全てを指してい

ますが、古くは中国では勿論、日本でも絹の状態を表す

ために多くの字が使われていました。古事記、続日本記、

風土記、延喜式、養老律令、令義解など読むに当たって

随所に使われている絹を指している漢字の意味を解説し

てみましょう。

絹一般をさす字は「(はく)」という字が使われています。

その中でも少々質の劣るものを「糸曾(そう)」としています。

」は平織りの中程度の織物を指し、平織り以外の物

は「綾」,「錦」等々、織りの形状によって沢山の字が使

われています。同じ平織りでも(たて)(よこ)糸が細く織り密度が

高い(含、羽二重)高級品は「糸兼(けん)」。平織りで糸の太

い物を「糸施(せ)」といい、より太くて固い物を「糸巨(きょ)」、

太く甘撚りの物は「(ちゅう)」と書いています。

綿は緜((めん()上質)、(じょ)(低質)。

絹、シナ種の誕生

小氷河期が過ぎた1万年前頃には地球の温度が現在よ

り5℃位上昇し、動植物が活発繁茂しました。狩猟で生

活する石器時代、野外の昆虫は子供でも簡単に採取でき

る栄養豊富な大切な食料でした。桑の葉に付くクワコの

繭は鋭利な石器でも切る開く事はなかなか難しく、繭ご

と口に入れて噛むと口の中に残った糸が束なって口から

出て来ます。それが人と絹の出会いであったと思われま

す。これを飼い馴らし、昆虫の家畜化に成功したのです。

それが現在の中国の浙江省付近のクワコ(生殖細胞染色

28)からはじまったといわれています(日本クワコは

同染色体27)。こうして年1回羽化する一化性の蚕「シ

ナ種」が誕生したのです。気温上昇で栄養豊富な桑の葉

も春から秋まで育ち、蚕が二化生に進化し、八千年前頃

には発祥地から亜熱帯まで南下した蚕は通年餌があるの

で、多化性(何回も羽化する)、三眠蚕(3回休眠)に進

化し、北上した蚕は気温も低く餌の葉の育つ期間も短い

ので、一化性から二化生(4眠蚕)に留まりました。

日本への伝来

第1ルート:中国東南部と南下した蚕丸みのある糸

弥生前期中国南部東シナ海北九州(養蚕技術50

0年滞留)。  一化性、二化成蚕

弥生中期雲南東シナ海北九州瀬戸内畿内

〃  〃八丈島東海地方。二化性、多化成蚕

この時は現在雲南地方に住む非漢族の(みゃお)族が中国南東部

海岸線に居住しており、彼らが進化した二化生、多化性

蚕種と染織技術を持って直接日本に渡って来たと思われ

ます。八丈島に今でも苗族由来のカタッペ織りが存在し

ています。彼らが織る錦織は弥生後期卑弥呼の時代の倭

錦となり、魏の皇帝への献上品になったと思われます。

第2ルート:中国東南部を北上した蚕扁平で細めの糸

弥生中期楽浪(北部朝鮮)日本海沿岸(北陸)

北上ルートの蚕種と染織技術を持って長期間

にわたり、幾度も大量移民。

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